<京都>日時:2025年7月26日(土)、7月27日(日) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅)
<東京>日時*2025年8月30日(土)、8月31日(日) 午後12時半〜午後6時
*両日とも、10名限定。(1日で完結)。京都、東京とも、資料代として、おひとり様2,000円をいただきます。
自然の姿が古代の人々にとってしばしば象徴でありうるのは、自然の存在が生命的なものとして、人と同じ次元のものであるとする考えかたがあったからであろう。
「吹き棄つる氣噴の狭霧」から新しい生命が生まれてくるように、人もまた「おきその風の霧」となって顕ちあらわれることができたのであった。 白川静
(左写真)
「かんながらの道〜日本人の心の成り立ち〜日本の古層Vol.5」
2024年10月26日発売。
今回で33回目、延日数では66日目となりますが、歴史の個別の部分を一回ごとに履修するといった学校教育のような方法をとらず、毎回、歴史の全体像まるごと体感することを重視しています。
そのうえで、毎回、基本軸は同じではあるものの、新しく取材したものを盛り込みながら、少しずつ内容を変化させることを自分に課しています。
本質への道は、常に大きな全体像を感じ取りながら、部分を、全体像との関係で把握していくこと。そのため、一度のワークショップにかける時間と情報量が多すぎるかもしれません。
しかし、自分の知識量が足りないとか、理解力がついていくかどうかといったことは二の次で、歴史全体に心を遊ばせていただければと思います。
地震や台風などの自然災害が多い島国に生きる日本人は、自然に対する謙虚な姿勢を軸として、長い歴史を通じて文化を育んできました。
この移ろいやすく変化の激しい自然風土で長年生きていると、この島国に遥かなる昔から暮らしていた人たちと渡来人の違いはなくなり、日本特有といえる信仰心が養われるのではないかと思われます。
日本特有の信仰心というのは、一つは神仏習合で、神でも仏でも形あるものは仮であり、大事なことは、その本質であるという認識です。
二つ目が、祖先信仰。この祖先とは、自分と同じ血統を指すとは限りません。
今を生きる自分に流れ込んでいる全ての過去が、自分の祖先。
宮沢賢治は、「われらがここにする仕事は すべて祖先のたましいから 萌え出たことである。」という言葉を残していますが、自分は今一瞬に分離された時間の中の存在物ではなく、重々無尽縁起、無限に複雑に相互浸透しあう存在のネットワークの中に存在しているという認識が、この言葉の背後にあります。
すなわち、祖先のたましいというのは、遠い昔から連綿と自分に引き継がれてきている歴史や文化の総体ということになるのです。
現代社会においては、「私は私、世界は世界。」という分断のコスモロジーが基軸になり、その中で個人的なサバイバルをはかろうとして、即時的で断片的なハウツー情報を求めがちです。結果として、「関係」や「影響の連鎖」を実感しずらいまま、孤絶感を深めてしまうばかり
歴史を知ることの本質は、邪馬台国論争や藤原不比等の陰謀云々などと、その時々の出来事を蘊蓄として知ったかぶるところにはなく、歴史上のすべての出来事が、何一つ、個別に起きているのではなく、さまざまな因縁の働きで、つながっていることを実感することです。
そのことが、過去と現在、そして現在と未来のつながりを洞察することにつながります。
温故知新というのは、故きを温めて、今を生きるための新たな道理を導き出すことです。そのことを強く意識したうえで、ワークショップを行いたいと思っています。