風天塾(ワークショップ・セミナー):京都、松尾大社にて開催 

故きを温ねることが、未来への架け橋。

日時:2024年 9月28日(土)、9月29日(日) 午後12時半〜午後6時  

両日とも、10名限定。(1日で完結)

場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町 

 *阪急松尾大社駅*フィールドワークを行った後、事務所に向かいます。 

 *資料代として、おひとり様2,000円をいただきます。


彼岸に目を向けることなく、すべてを、神に関することも、死も、すべてこの地上のこととして考え、すべてをこの地上の生のうちに見ること。

すべてのものを、神秘的なものも、死も、すべて生のうちに見ること。

           ライナー・マリア・リルケ

                           (左写真)

「かんながら〜もののあはれ源流〜日本の古層Vol.5」  

 2024年11月1日発行予定。



日本人は、自分のことを無宗教と言いながらも、神社で安産祈願を行い、葬式を仏教寺院で行います。そして受験など人生の重大時に神社で願い事をするし、悪いことをしたら罰が当たると感じる心があります。

 日本人は、これまで、古いものと新しいもの、聖なるものと俗なるものの間に壁を作らず、神と仏を習合し、土着と外来を重ね合わせてきました。
 こうした日本人の心は、いかにして作られてきたのか?
 様々な問題に対応していくうえで、もちろん知識や技術も必要ですが、何よりも心の在り方が大切であり、現代の課題を克服し未来への橋を架けていくうえで、改めて日本人の心について考える必要があるのではないかと思われます。
 日本人が自らを無宗教だとみなすのは、西欧人などのように唯一絶対神と自分を結び付けないからです。
 日本人にとって「かみ」とは、自然界を巡る目に見えないエネルギーです。万物生成の根元に宿る力で、このエネルギーが、この世のものに関係性をもたらし、新たなものを創造する力になっている。現代の日本人でも、こうした「かみ」の力に対して、敬虔な気持ちを持っている人は多いでしょう。
 それに対して近代西欧文明は、万物の尺度を人間に置き、人間の計画や設計をもとに、世界を解釈し、人生の価値を決めようとする世界です。 
 自己中心的な価値観に覆われた世界のなかで競争に明け暮れ、他人との比較で自分の存在価値が決め付けられる状況が、果たして人間を幸福に導くものなのかどうか?
 温故知新というのは、単に昔のことを調べたり知るだけでなく、故きを温ねて、新たな道理を導き出し、新しい見解を獲得することです。
 東京と京都で交互に行っているワークショップセミナーは、単に歴史のお勉強ではなく、過去と未来をつなぎ、近代合理主義に偏った視点では見えてこないものと、視点や意識を変えることで見えてくるもののあいだに、橋を架けることを心がけたいと思っています。


メモ: * は入力必須項目です