復刊第6号(50号)より、横幅サイズが5mm大きくなります。(横230mm,縦298mm,厚さ10mm)
古に天地未だ剖れず、
陰陽分れざりしとき、
渾沌れたること鶏子の如くして、
溟にして牙を含めり。(日本書紀)
〜不易流行〜 不易は、陰と陽の二分化のない状況であり、老子の言う天地分離以前、荘子の言う混沌、意識によって世界を切り分ける以前。すなわち、”もの”が物でもあり霊でもある状態。
そして、「流行」。偶然性と必然性が数珠つながりとなり、どんな可能性をも残しながら、静止したり、突然、劇的な変化を遂げたりしながら、一つの終わりが別の新たな始まりとなり、めぐりめぐっていくこと。
いのちは、そうした時の流れに応じながら、様々な環境を通して姿形を変えて、その本質を露わにしていく。
中からものを見ること、内的な時間から組み立て直すこと
『FOUJITA 』公式HP http://foujita.info/
第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞した『死の棘』や、『泥の河』などで知られる映画監督、小栗康平さんの10年ぶりの新作映画は『FOUJITA』。1913年に27歳でフランスへ渡り、”乳白色の肌”と称された裸婦像を描き、パリ美術界で大成功を収めた画家の藤田嗣治を主人公としている。明治から昭和にかけて、近代化の光と影を身をもって体験し尽くした藤田嗣治。彼に対する賞賛と非難のあいだの大きなギャップは、藤田個人の特異性の反映でもあるし、近代という時代が陥りやすい自己撞着であるとも言える。映画もまた、近代の技術とシステムを駆使して作り上げて人々に感動を与えるものであるが、それゆえの複雑な矛盾も孕んでいる。小栗監督との対話を通して、そのあたりのことを少しでも浮かび上がらせることができればと思う。
現代社会に存在する様々な物は、ただの物体として人間の都合で使われ、消費されている。しかし、現代人にとって当たり前のそういう感覚は、人類史の中でも極めて例外的で異様な”時”なのだろう。
ものを作ることは、火、水、木、金、土と深く関わること。そして、日(太陽)や月のめぐりに応じること。人間の都合は、宇宙時間の中では些細なことであり、それを基準にすると無理が生じる。
大神島の家族の40年。先祖のことを「死んだ神さま」と呼ぶ島の人々は、祖先達が伝えてきた知恵に対する感謝と、いずれ自分も神さまになることへの責任と使命を心に抱いている。
思春期の頃に身体を壊し、一つの人生が終わったと感じた時から始まった人生。二十歳の頃、その人生を素直に受け入れられなかったが・・・・・・・・。
熱帯雨林の生存環境は過酷だ。その結果、奇怪で多様な生存戦略が生み出された。それらは、何一つ単独では存在し得ない。自分の生死の時間は、他の生死の時間と、ダイレクトに深く関わっている。
時間の謎
ゆっくりと動いてみる
悠久の流れ・アマゾン川のほとりで
恨九九九年
神のような傲慢さ 映画表現のエッジ
一つのコスモロジーが終わり、始まる時
ジェロニモの遺言
マチゲンガの暦
加速化社会が失うもの
茂木健一郎
小池博史
湯本貴和
姜信子
田口ランディ
佐伯剛
今福龍太
関野吉晴
佐伯啓思
2003年4月に創刊以来、風の旅人は号数を重ねてきましたが、次号は節目の50号です。テーマは、時の文(あや)。現代社会には、すぐに消費されて消えてしまうものが多いですが、いつまでも残り続ける異なるものがあることで、私たちは、世界が均一でなく幾重にも積み重なっていることを実感できます。現在の標準的な価値観に違和感を持っていても、自分が異常でないことを知ることができます。そして、標準的な世界の中で行き詰まってしまっても絶望する必要はありません。
現在、社会に閉塞感を感じている人が多いですが、それは、これまでのように誰にでも当てはまるような価値観が通用しづらくなり、そのため、大量生産、大量消費型のシステムに無理が生じ、新たなシステムに取って代わられる段階だからかもしれません。