Sacred  World 日本の古層 vol.1 〜

pinhole photography & text  by Tsuyoshi Saeki                 2020年4月1日発行


確かなものと不確かなもののあいだをつなぐ力こそが、生命の根元の力。

 

 

 日本の聖域というのは、エジプトやギリシャなど乾燥地の文明世界と異なり、湿潤なため植物が繁茂し、風雨に侵され、かつての形を残しているところはありません。しかし、周辺の山の形とか風景、太陽との位置関係(たとえば目の前に三角の美しい形の山があり、冬至の日に、その頂上に太陽が沈む)、立ち込める気配などから、古代人がそこを聖域として選んだことは、なんとなく伝わってきます。

 それらの微かな形跡を高性能のカメラで撮影しても、その場にあるものすべてが明瞭に写りすぎてしまい、ノイズが多すぎて、その場で感じた気配が消えてしまいます。

 そこで私は、原初的な方法であるピンホールカメラを使い、フィルムに超長時間露光するという方法で、それらの聖域を撮り続けることにしました。曖昧なものを曖昧なまま受け入れる方が、想像力を必要とし、記憶の深いところに働きかけるような気がしたからです。

 わずか0.2mmという針穴から入ってくる光だけで像を結ぶピンホールカメラ。レンズもシャッターもない暗箱の闇の中に浮かび上がる像は、高性能カメラの鮮明な静止画像とは異なり、長時間露光によって、時の経過が反映されたものにならざるを得ません。動かないものだけが確固とした存在となり、揺れ動くものは儚い幻のようになりますから。

 しかし、その感覚は人間の目の捉え方と近いように思われます。人間の目は、風景を見ている時、高性能カメラの描写のように細部の全てに焦点を合わせているわけではありません。たとえば巨大な磐座を凝視している時、背後の森は目に入っておらず、身体的気配としてのみ感じており、ピンホールカメラの像は、その感覚に似ています。

 そして、歴史は謎が多いですが、それは、現在と時間的に遠く隔たっているからという理由だけでなく、おそらく現代人と古代人では、ものの捉え方が異なっており、現代的価値観のバイアスのかかった我々の思考分析の方法では整理しきれないからです。ゆえに、科学的実証だけではなく、感受性や想像力、そして潜在的記憶なども含め、確かなものと不確かなものの間をつなぐ力を総動員しないと、歴史がリアルなものにならないような気がします。

 人間を含めた生物は、自分が理解しているとおりに世界の全てに対応できるものではなく、不確かな世界の中を、感覚を研ぎ澄ませて想像力を働かせて生きていかざるを得ず、そうした宿命に対応できるように、長い歳月をかけて身体機能が整えられています。

 人間の心の機能もまた、全てを0か1に置き換えて整理できるものではありませんので、一つの正しい答えを求めるのではなく、たとえ曖昧なものが残ろうとも、全体のリアリティを少しでも感じとれるようなアプローチこそが大切で、確かなものと不確かなものの間をつなぐ力こそが、生命に宿る根元の力だと思います。 


sacred world

A4サイズ (横297mm 縦210mm 厚さ13.5mm)    全120ページ

ピンホール写真・文章/佐伯剛  *写真数85

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還るところ

 

近畿地方には神体山と呼ばれる姿美しい山が数多くある。古代、それらの山頂に鎮座する磐座の周りは歌垣の舞台だった。近隣の村の人々が山に登り、若い男女が恋の歌の掛け合いを行っていたことが風土記などに記されている。

言霊の力がその人物の力であり、男も女も、その力を磨いていた。そして、めでたく男女が多く結ばれると、その年の豊作が期待された。磐座に性器を連想させるものが多いのも、生殖と五穀豊穣に共通する生命原理が、霊力を通して呼び起こされるからだろう。

こうした言霊と生殖と生産を結びつける古代文化の伝統が、後の時代の『源氏物語』など日本文学へと流れ込んでいく。魂の存在を信じる古代人は、とりわけ祖霊との交感を重視した。祖霊は、人間だけとは限らない。人間を取り巻く森羅万象は、世代交代を繰り返しながら、今という時を刻んでおり、その恩恵を受けとる上で、森羅万象すべての祖霊に対する感謝も大切なこととなる。

近代以降の人間は、森羅万象を、征服と利用の対象とみなしてきた。有機的で循環的な世界を、分別によって自分に都合よく切り分け、取捨選択し、搾取することを当然の権利であるかのように推し進めてきた。現在、そうした行為の歪みは様々なところに生じているが、それは温暖化など地球環境の問題だけではない。自己都合的な思考分別や価値観は、一人ひとりの人生に反映され、常に他者と比較し、現状に対して不満を覚えるという空虚な心理を膨らませる。そのことが、現代社会のストレスや不安の根元に横たわっている。

森羅万象に対する人間の理解や対応は、何一つ絶対的なものはなく、どこまでいっても幻のようなものだ。しかし、幻にすぎないことを知りながらも、幻を追わざるを得ないのも人間の性分であり、その葛藤の末、日本人がたどり着いた真理が、”もののあはれ”だった。

これまで私は、原始的な機能のピンホールカメラを携えて、古来からの聖域を訪ねてきた。レンズもシャッターもないピンホールカメラは、世界に開かれた0.2mmの扉でしかないが、その極小の扉は、幻を追い続ける人間の夢のように、光に反応して儚い像を結ぶ。

有為転変の世界に生まれては消えていく命が、世界に様々な残像を残しているが、それらの残像が放つ密かな波動を受けて、ピンホール写真の儚い像は、微かに揺らめいている。それぞれの土地の秘められた記憶を、時を超えて、意識の闇に響かせるように。

 

                                     2020年2月20日   佐伯剛